「一枚の手紙」
―歯科医 内山睦美氏―


 
 
   開業16年の時を経て、地域に根差しながらも、最先端の治療技術と知識を兼ね備え、注目を集める歯科医がいる。佐賀市水ケ江にある「みのり歯科診療所」の院長で医学博士、内山睦美さん(54)。東京を中心に全国を飛び回りながら、歯科という分野を越えて、患者のために最高の環境を整えている。クリニックの歯科衛生士は、アメリカの歯学部大学院を出た最高峰の衛生士による勉強会で鍛えられた精鋭ばかりだ。
  乳幼児から高齢者まで、毎月600人もの患者を診る内山さんの世界に迫る。
 

 
師走。 内山さんには毎年行う、ある習慣がある。 この日、診察を終えても、二階の居室は夜遅くまで光がともっていた。書類や学会誌などがつまれた机の上に、分厚い年賀状の束がある。 内山さんはすべての年賀状に、一枚一枚手書きでメッセージを書いていく。シンプルな内容だが、一年間通ってくれた感謝の気持ちを込めていく。 
 
内山さんの患者は佐賀だけにとどまらない。彼女の腕を知った患者が県外からもひっきりなしに押し寄せる。 9時から18時の診察時間は、特段他の歯科と変わりはない。しかし、一か月間の予約票を開くと、すべての枠が患者の名前で埋まっている。診療の予約をとることは容易ではないが、客足は途絶えることがない。 家系図がかけますよ、と内山さんは笑って話す。子どもの治療のために訪れたある親は、自分の診療を受けるようになり、祖父や祖母まで連れてくるようになる。 
 
「治療の合間に、皆さん口々に自然と自分の日常を話してくれますね。でも一見診療とは関係のない、このたわいもない会話が、実は、治療の核心を見出す秘訣なんですよ。」
 
口を開く前から診療は始まっている。   内山さんは、一目見るだけで 全身の骨格や内科的処置まで言い当てる。 視点の広さ、歯科医としての類まれなる「勘」が、 白衣を着るとさえわたってくる。  
 
ある日、5歳児を連れた親が診療に訪れた。 子どもがいつも頭痛に悩まされ、 親は頭痛薬を服用させているという。 小児科や内科、整形外科にも通ったが、 もっと運動をすればいいのではないか、と言われた。 しかし、普段は走り回って遊んでいて、 親には何が問題なのかわからない。 話を聞くと、 子どもは、食事をするのに 時間がとてもかかるという。「 早く食べなさい」といっても 子どもは言うことを聞かない。 内山さんは、子どもを椅子から下ろし、 地面の上でしゃがませた。   腰が落ちない。 子どもは、顎から頸部にかけての発達が不十分で、 頭痛を発症していた。体にもゆがみが生じている。 口を開くと、歯は、ディープバイトで隙間がない。 内山さんは、頭痛は内科的要因ではなく、 顎の発達不足からくるものと結論付けた。  
 
「一種の現代病とも言えますね。 ハイハイしているときから、 顎の発達は始まっています。 今、ハイハイをせず、 すぐにたってしまう乳幼児が多いのは、 私たち大人が作り出したつかまるものが多い 豊かな環境のせいでもあるんです。」
 
 
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内山さんの診療には、もう一つ、ある特徴がある。「血液の構成」から、歯、そして全身の状態を関連づけるのだ。その核心的領域は、分子栄養学の知識だ。分子栄養学は、体を分子レベルで考える現代では最先端の栄養学だ。内山さんは、歯科医としては全国でも数えるほどしかいない分子栄養学のエキスパートだ。  
 
ある時、一人の患者の治りが悪いことが気がかりになっていた。歯磨きは熱心にやっていて、プラークは全くついていない。しかし、患者は痛みを感じている。内山さんは、患者に通常の歯科とは違った方法をとった。患者の採血を行い、血液検査のデータを深く分析していった。患者は、血糖値が乱高下して夜にアドレナリンが出て噛みしめてしまうことから、歯に痛みが出ることが判明した。
 
血液検査を行う歯科医は一般的ではない。以前勤めていた大学病院の口腔外科では、入院患者の点滴を日々行っていたのは、看護師ではなく、歯科医の役目だった。今でも、患者に注射針を打つのは内山さんだ。内山さんの治療が注目を受けているのは、類まれなる歯科医としての勘がそこにあるだけではない。患者のために、最先端の医療法を求めてきた、努力の賜物だ。
 

 
内山さんは、口腔外科の臨床から得た 全身と咬合の関係について 深く研究ができる環境を求め、 37歳の時に開業した。 さらに、分子栄養学を学んだことで、 視点が深まった。 開業から16年。 口の中から見えてきたのは、「日本の姿」だ。  
 
80歳を超えたある女性の歯。 戦後朝鮮半島から引き揚げ、 歯を食いしばって生きてきた 彼女のすり減っていた奥歯。  
現代人。 口腔粘膜から見えるのは豊かさの副作用だ。 不規則な生活からくる疲れ。 加工食品にあふれ、 旬の食物を摂取しない合理的な生活。  
子どもの歯。 スマートフォンやPCを無理な姿勢で長時間見て 骨格と顎が発達せず、口の容量が広くならない。 親から食べるのが遅いと叱られる姿。    
 
今、内山さんが考える歯科医の使命は、 口腔のことだけにとどまらない。 全身の健康とバランス、そして、 未来を形作ることだ。  
 
「骨格、呼吸、そして栄養。 対処療法だけでは扱えない部分の知識を持ち、 歯科医は様々な世代と 関わっていかないといけない。 中でも、未来を担う子どもたちを形作るのは、 私たち歯科医なんです。 だから、教育者としての側面も これからは必要になってくると思うんですね。」
 
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内山さんは、宮崎市で生まれ、鹿児島市で育った。 幼い頃はいつも母のスカートに隠れ 見知りする少女だった。 小学生の時は、成績が悪く、 放課後先生に勉強を教えてもらった。
 
高校生の時に、クリスチャンだった叔母から 三浦綾子の小説を教えてもらい、 徹夜で読むような文学少女だった。 そんな時、経営者だった父を誤診で亡くした。 それから自然に医学部を志望するようになった。しかし、 その頃から内山さんは頭痛や腰痛に 悩まされるようになった。 たまたまかかった鹿児島大学の口腔外科で 顎関節症と診断された。 歯並びが、体調と密接にかかわっていると 身をもって体験し、 歯学部を目指すようになった。  
 
九州大学の歯学部を卒業し、 症例が圧倒的に多い 久留米大学病院の口腔外科医として働いた。 午前中の外来が終わると、 午後も夕方まで外来手術に追われる日々だった。 業務を終えたあとは論文の執筆などに追われた。
 
  「昼も夜もない、男性も女性もない、 厳しい環境でした。 でも、経営者となった今のほうが  断然ハードですね。 講演の依頼も年に数回ありますし、 仕事のことは休みの時でも頭から離れません。 開業してから、経営者として、 ずっと走り続けていますね。」
 

 
3月下旬。 診療中に、ある患者の母親とおばあさんがやってきた。 
 
患者は、受験生で、二浪していた背の高い二十歳の男性だった。彼は、家族からの期待を背負っていた。 二年目から、おばあさんの家に移り住み、必死に勉強を続けていた。時々歯が痛むと通院していたが、虫歯ではなかった。プレッシャーとストレスからくる痛みだった。人生で三回目のセンター試験が近づいてきたころ、内山さんは、「今までやってきた自分の力を信じて」と手紙を送った。 彼は、センター試験に内山さんの手紙を大事に抱えて試験会場に向かったという。 
 
母親とおばあさんは涙を浮かべて、静岡にある薬学部に合格したと話してくれた。一年間彼を見てきたおばあさんは、手作りのケーキを焼いてきていた。 
 
たった一枚の手紙。 言葉の力を信じる。それが、人生を動かし、人を救うことを内山さんは知っている。 歯科医として、大事にしていることがある。「幸せを気づける感性。寝るところもあって、家族が集えて、ご飯を食べられること。本当にささやかな幸せをありがたいと思えるかどうかで、人の生き方って変わるんじゃないかと思いますね。」
 

取材先
みのり歯科診療所
840-0054
佐賀県佐賀市水ケ江 5-2-8
http://www.minori-dc.com/